コンテンツの価値を文字数あたり単価で示すのは誤りである


イケダハヤト氏の有料noteは、相場より200%以上高い法外なボッタくり価格だったという記事についてツイートしたら、ライターのウェブシュフさんからリプをいただいたので、改めて反論してみます。

今回の発端ツイート(私のツイートです)

全部引用しても長くなるので控えますが、ウェブシュフさんとしては

「noteと書籍で文字数あたり単価が違うのでイケダハヤト氏のnoteはボッタクリである」

という主張です。

改めてこの記事に反論します

私が反論したいのは以下の2点です。

・コンテンツの価値を文字数あたり単価で示すのは誤りである。

・付加価値をつけてブランド化し、高く売ることは悪ではない

コンテンツの価値を文字数あたり単価で示すのは誤りである

ウェブシュフさんの記事によると、量が質よりも重要だそうです。

その論拠として米の例えを持ち出していますが、米とコンテンツでは量に対する考え方が違います

同じ内容なら文字数は少ない方が良い

なぜなら、米とコンテンツでは、消費するのに必要なリソースが違うからです。米は場所さえあれば置けます。普通の人は米30kg分を置くスペースくらいはあるため、魚沼産コシヒカリ10kgより伊賀産コシヒカリ30kgの方が良いと結論付けたのでしょう。

一方、コンテンツの消費には時間が必要です。1分間に500字読めると仮定して、一時間かかります。これがウェブシュフさんのいうところの適正な文字数になったら時間が三時間かかります。二時間も無駄にかかってしまうわけです。暇人なら別ですが、同じ内容ならこの二時間はもったいないと考えるのが普通でしょう。

コンテンツについては量は少ない方が良いのです。

同じ人が書いたものなら同じ価値……とは考えられない

また、付加価値やブランドは同じ人が書いたものなら同じであり、比べられるとのことですが、これも信用ならない。

例えばある人が三年かけて書いた学術論文と、ほどほどに力を入れて書いた新書があったとします。両者の文字数あたり価値は同じでしょうか。(論文に値付けはできないという点はおいといて)もちろん違います。

この点から、文字数あたり単価という指標でコンテンツを図るのは誤りです。

出版業界を敵に回している気もしますが、文字数やページ数あたりで同じ値段というのは極めて非合理的な値付けであると言わざるを得ません。

本とnoteの違い

本と違いnoteはアップデートができるとイケダハヤト氏は書いています。アップデートする意思がある時点で単純な比較はできないでしょう。

どの程度の期間、どの程度のリソースを投入したら、いくら稼げるか、が今回の議論されるべきこと

今回の場合は、その商材によっていつまでに、どの程度のリソースで、何が得られるのか、を語らなければなりません。

ノウハウを実行することで得られる金銭や身につくスキルが、2980円と必要なリソースの和を上回り、投資効率がよければその商品は詐欺ではありません。

付加価値をつけてブランド化し、高く売ることは悪ではない

例をあげるのであれば高級ブランド品。あれは悪でしょうか。そっくり同じ作り、性能の類似品が半額で売られていても、ブランドじゃないというそれだけで本物が買われるのがブランドの力です。

もちろん、同じ性能なのだから安い方を買う人がいるは事実です。しかし、高い方に価値を見出す人がいるのもまた事実です。その人たちは、空気感に流されているのではなく極めて合理的な判断に基づいて、ブランドを支持し、付加価値を見出しています。

このような人たちを愚かだと馬鹿にするのでしょうか?

付加価値をつけて販売することで損をする人はいない

購入者は、空気というよくわからない概念に流されたのではなく、合理的な判断に基づいてブランド品を買います。もちろん満足を得られるからその商品を選んだわけで損はしていません。

販売者もブランドによってより高値が付き、さらに消費者に満足してもらえるというおまけまでついてきます。もちろん損はしていません。

両者ともに満足しているのに、どうしてこれを悪と言えるのでしょうか。

まとめ

コンテンツの価値を文字数あたり単価で表そうとする試みは誤りです。

ちなみに、例の商材を買うことを勧めているわけではありません。買って中身を見ないことにはなんとも言えません。

以上「コンテンツの価値を文字数あたり単価で示すのは誤りである」でした。


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コメント

  1. web_shufu より:

    # 無料を相場から除外する理由

    私が言う相場とは、テキストコンテンツの売買価格相場のこと。

    テキストコンテンツの売買とは、契約に基づいて、金銭とテキストコンテンツを交換すること。

    ## 無料は金銭との交換ではないから売買ではない
    無料で提供されているものは、相場(市場価格)価格から除外するのは当然です。金銭と交換していないのだから。

    ## 契約に基づいてすらいない
    また、ブログによるテキストの無償提供は、契約に基づいたものではないから、この点でも売買からほど遠いです。

    ブログの投稿をブログ主がある日突然削除しても、ブログ主が契約違反に問われることはありません。

    しかし、売買の約束をしておいて、品物を引き渡さないのは契約違反です。

    ## 実際、無料提供の事実は、価格形成に影響しない
    また、無償でテキスト提供した事実は、現実問題として、テキストの売買価格に影響を与えないでしょう。

    「あんたは無償でもテキストを書いているのだから、俺にも無料でテキストを売ってくれ」なんて言ったら、書き手から交渉が打ち切られますよね。

    テキストに限らず、「あなたは無償で○○を提供しているのだから、ウチにも…」なんて言い出したら、交渉決裂でしょう。

    無償提供しているものは、その点で、相場の材料にすらなりません。

  2. web_shufu より:

    書いてあることはわかるんですが、あなたの考え方では、不動産価格の比較すらできません。

    売り手の立場に回ろうとする人が、価格の下押し圧力になりそうな価格比較に否定的になるのは当然ではありますが。

    価格比較は、品質と量をきっちり揃えて行うのがベストです。

    しかし、それができないときは、ざっくりと揃えて行うものです。

    スーパーや百貨店で肉を買うときも、グラム単価を気にしますよね。

    ブランドが同じだったり、生産者が同じであったりすれば、ひとまず品質は同じものとして、グラム単価で値段が高いか低いか判断しますよね。

    そして、そのグラム単価が、自分の頭の中にある相場より著しく高ければ、購入をためらわせます。割高は承知で敢えて購入に踏み切るときもありますけどね。

    同じことをテキストコンテンツに対してもやろうよ、というのが私の主張です。

    なお、私が量を重視するのは、買う前にはその品物の品質がわからないからですよ。

    肉を買う時だってそうじゃありませんか。